★三田 明★

本名、辻川潮(つじかわうしお)。昭和22年6月14日生まれ、東京都出身。
昭和38年10月10日、「美しい十代」でビクターからデビュー。美形アイドルとして、女性人気はトップクラスを誇った。惜しむらくは、橋幸夫と共にビクターレコード所属と言うこともあって「御三家」の売り出し戦術からはずされた事。しかし彼の人気は御三家にひけを取ることなく、当時の人気歌番組「ロッテ歌のアルバム」では、玉置宏が御三家に彼を加えて「四天王」と形容した。

<三田明への熱いメッセージ>

●御三家になれなかった三田明 <鷹>(2001)
橋幸夫と三田明がビクター、舟木一夫がコロムビア、西郷輝彦がクラウンと、ビクターだけが吉田正門下生で二人いたんですよね。アイドルスターを競うためには、ビクターとしては「二兎追うものは…」にならないように、橋幸夫に絞ったんではないでしょうか? 私の好きだった、三田クンが可哀想!
●三田明って歌うまいですよね。 <トトロ>(2001)
三田明が「美しい十代」でデビューしたとき、歌が下手だって言われてましたよね。「♪し〜ろい(スウ)野バラを(スウ)捧げるぼくにぃ〜(スウ)」息使いが悪いって。だけど、ほら、当時ものまね歌合戦があったじゃないですか。あのときの三田明って、御三家より歌が上手いって思いましたね。橋幸夫はもちろんのこと、舟木、西郷の歌もものまねやってましたよね。あれって、歌が上手くないとできない芸当ですよね。あのあたりから、三田明が好きでしたね。
●三田のカラオケ、もっと増やして! <青春>(2001)
四天王の中では、三田明のカラオケが極端に少ないですよね。もっとレーザーとか通信に増やしてほしいものです。(皆でリクエストしましょう!)トトロさん、三田の「美しい十代」での息つぎの話って、結構言われますよね。でも、これって歌が上手いとか下手の問題じゃなく、録音技術の問題だと思いませんか? レコーディングに立ち会ったディレクターの怠慢です。なんちゃって! そう、あれだけモノマネが上手いってことは、歌が上手くないと出来ないですよね。
●同感! <隼>(2001)
三田明のカラオケは確かに他の人から比べれば少ないです。仮にも四天王と呼ばれた一人です。世が世であれば、御三家であったかもしれない人のカラオケとしては誠に貧弱すぎます。ここは一つ、ビクターエンタテインメントのホームページに殴り込みをかけ、三田明の積年の恨みつらみを晴らしてあげようではありませんか。「青春歌謡」に集まるみなさんのご協力をお願いします。
●「ごめんねチコちゃん」の苦い思い出 <鷹>(2001)
三田明のこの歌を、高校時代に学園祭で歌ったんです。もちろん当時にカラオケなんてありません。テレビ番組からテープデッキ(ポータブルオープンリールデッキ?)に録音した歌をイントロの部分だけ流し、歌に入ったらボリウムを絞り、私が歌う…という段取りでしたが、イントロがほとんど聞こえず、適当に歌い出したのはいいのですが、音程がとれず、バカ高いキーで歌い始め、サビではヒーヒー!それでも青筋を立てながら歌い切ったという、苦い思い出があります。(笑)
●「美しい十代」の歌詞。 <サンタ>(2001)
私にとっていいなと思うのは「美しい十代」の3番の歌詞です。いまさら書くこともないと思うのですけど、「♪遅くなるから さよならしよう 話し合ったら つきない二人 明日またねと 手を振り合えば…」こういう歌詞は今でもあるのかも知れません。でもこの後がちょっと違うのです。いいですか「遅くなるからさよならしよう」と言っているのでしょ。どれくらい遅いのか分かりますか?「♪丘の木立に 夕日が赤い・・」ですよ。たかが夕方ですよ。いいですね、この時代の「淡い恋」っていうやつは。
●陽の目を見た「東京で二人」。 <青春>(2001)
「東京で二人」は「若い翼」のB面曲ですが、「若い翼」がちょうどヒットしている昭和41年に全日空機が東京湾上に墜落するという大惨事があったんです。それで飛行機をテーマにしたこの「若い翼」はもう歌わないと…。同時に、橋幸夫も吉永小百合と歌っていた「そこは青い空だった」を歌わないことになりました。橋は、1年前に出してもう下火になっていた歌でしたが、三田は発売直後でヒット中の訃報。セールスを切り替えて、急きょ、B面のこの歌を歌い出しました。「♪恋していれば 別れがつらい 街の灯りよ 消えずにおくれ 二人がいつも 言えない言葉 今日は言おうとしてるんだ この街で愛し合う 君と僕 東京で二人」思わぬ陽の目を見たこの歌。A面とは全く違うイメージでバラードの実にいい歌でした。ちょっと大人っぽくなった三田の新境地でした。私の大好きな1曲です。
●「物語のある食卓」。 <床マサ>(2003/10/22)
今日の報知新聞の「物語のある食卓」は、三田明さんです。
8人兄弟の末っ子の食卓はいろんなドラマがあったようです。クジラのすき焼きや鳥肉のエピソードは、三田明少年期の当時ならではで、我々の世代の食卓の今と昔・・・。三田さんの話に懐かしく思い出されます。今日の食は、良い時代に感謝して食べようと思います。
●通学列車で「美しい十代」を聴いて・・・。 <空>(2003/10/26)
もう40年近く前の事ですが・・・。何時も通学列車に乗り合わせる仲良し4人組みの一人が6月14日生まれ(三田さんと同じお誕生日)で、その彼女が、三田明さんの「美しい十代」と言う凄くいい歌があると教えてくれました。それまで余り歌には興味が無かった私ですが、通学列車(いつも音楽が流れていました)で、初めて「美しい十代」を聴き、その歌詞と曲と唄に感動して、この歌が一遍に好きになってしまいました。そのあと雑誌で三田さんのお写真を見て「可愛い!」・・・と。その以来、三田さんのファンになってしまいました。
それから高校卒業後、広島に移り、知った人のいない私は、一人で三田さんのステージを観に行っていました。ちょうど三田さんがデビュー7年過ぎた頃、後援会にも入りました。それからは広島の支部の人達と三田さんのステージ、公演の追っかけをしました。あの時の三田さんの姿は、今も私の瞼の中にはっきり残っています。私にとって三田さんは青春そのものでした。
そして今、再び三田さんの追っかけで第二の青春を楽しんでおります。三田さんが歌いつづける限り応援していきます。